NARUTO・71話「高すぎる壁…!!」
第四回戦は、サクラ対いの。
いの:「まさか サクラ− アンタとやることになるなんてね…」
サクラはヘアバンドのように結んでいた、額当てをはずします。
ナルト:「な…なんだ?」
ナルトには意味が分からないようですが、いのは分かっているようです。
アスマ:「ああ見えても いのは… くノ一のルーキーの中じゃ抜けていたからな… それだけに…あのサクラ相手に本気で行けるかどうか…」
シカマル:「よりによってあの2人とはな うっとおしい事になったぜ…」
チョウジ:「いの 大丈夫かな?」
アカデミーの授業風景です。季節は秋。
くノ一だけが集められて授業が行われています。
先生:「くノ一は忍術だけでなく 女性として幅広い知識と教養を身に付けなければなりませんの 敵地に潜りこみ普通の女性として振る舞えなければ−−− スパイ活動をする際などにも苦労しますからね」
なるほど。さすが忍者学校の授業です。
本日は生け花の授業。幼いサクラは不安そうです。
先生から花を集めるように指示が出ます。
サクラはいのの後について行きます。
サクラ:「いのちゃん待って…! キャ!」
サクラはつまづいて転んでしまいます。
いの:「も−−−−ドジねー!」
54話の回想でサクラといのの関係が明示されているように、サクラは元々泣き虫のいじめられっ子で、明るく快活ないのがサクラを引っ張っています。
サクラはいのに、生け花は苦手だと言います。
いのは、こういうものにはポイントがあると説明します。
生け花はメインになる花を決めたら、それを飾るように他の花を添える。
そして花は主張し合ってはダメ。
たとえばこの「コスモス」がメインなら、サクラが採った「ふじばかま」はオマケ。
コスモスは春のさくらに対して秋桜の呼称を持っている、秋で一番綺麗な花。
コスモスの原語の意味は「調和」というくらいだから、どんな秋草ともピッタリくると説明します。山中家は花屋も営んでいますから、知識は相当あるんでしょうね。
いじめっ子の女子3人が、サクラにちょっかいをかけにきました。
女子1:「今日は やけに楽しそーねェ… デコリーンちゃん!」
怯えるサクラ。気色ばむいの。
女子1:「アンタ 最近色気づいてんじゃない? あんまり調子乗ってんじゃないわよ!」
サクラに話しかけてきた女子の口の中に、いのが花を飛ばして投げ込みます。
いの:「ゴメーン! あんまりキレ−なずん胴なんで−−−−… 花ビンと間違えて生けちゃった♡」
激怒する女子。
いの:「忍花鳥兜(しのびばなとりかぶと)だから毒性は弱いけど−−− 有毒植物だから早く吐き出した方がいいわよー」
毒が回ったら大変だと、女子達は先生のところへ飛んでいきました。
でもいのが投げたのは、花と茎の部分。毒があるのは根の部分です。
サクラは、活発ないのがうらやましい。
「…いのちゃんは すごいなぁ… 何でも知ってるし…オシャレでカワイイし……… それに今の手裏剣術にしてもそう 忍術だってすごい………… それに比べて 私は…」
サクラ:「いのちゃんがコスモスなら……… ……私は ふじばかまかなぁ…」
いの:「なに言ってんのー! ん−−言ってみればサクラは まだ花どころか……つぼみってとこね−−−−!」
サクラ:「………… ハハハ… そうだよねェ」
自嘲気味のサクラを見て、いのは何か言いたいことがあるようです。
さて試合会場で向き合う、サクラといの。
サクラ:「今となっては…アンタとサスケくんを取り合うつもりもないわ!」
いの:「なんですって−−!」
サクラ:「サスケくんとアンタじゃ釣り合わないし… もう私は完全にアンタより強いしね! 眼中ナシ!!」
いの:「サクラ… アンタ誰に向かって口きいてんのか分かってんの!! 図に乗んなよ 泣き虫サクラが−−!!」
ナルトは、いのが凄い目をしているのを見て、「サクラちゃん言い過ぎだ」と心配です。
カカシは、「サクラはいたずらに自分を誇示したり、人を傷つける子じゃない」と言います。「いのに手加減されるのがイヤなんだ」と説明します。
幼い頃のサクラ。
いのから「つぼみだ」と言われて、オドオドしながら、リボンをくれた理由を尋ねます。
54話でいのがサクラにあげたリボンのことです。
この頃のサクラは本当に気弱で自信がなくて、ヒナタのようですね。
いの:「フフ… それはね−−… あんたがつぼみのまま枯れちゃうのは…もったいないと思ってね−−− …花は咲かなきゃ意味ないでしょ もしかしたらそれが…… コスモスよりもキレーな花かもしれないしね−−−!」
心の中でいのにお礼を言うサクラ。
「ありがとう… いのちゃん…」
その時からサクラは、いのの言葉を信じて頑張ってきました。
いののようになりたくて、いのを目指してきた。そのおかげで今の自分がいる。
「だから いの… 本気で闘いたいの……… 私… 本気のアナタを越えないと意味ないから!」
ナルトは「何故あんなに2人とも熱くなっているの」かと不思議がっています。
それを見てカカシは、サスケに突っかかっている自分のことを、ナルトが全く分かっていないと呟きます。ライバルとは不思議なものです。
いのの回想。
サクラ:「私… サスケ君と同じチームになってわよ …いのにはもう負けない……」
いの:「私だってサクラ−−− アンタにだけはどんなことだって負けないわよ−−−!」
サクラは、いのから幼い頃にもらったリボンを返します。かつてリボンを結んでいたところに、今は木ノ葉の額当てがあります。
いのはリボンはあげたものだと言います。そして額当ては額にするものだと言います。
いのも額当てをしていません。どこにあるんだろう?
サクラ:「これからはもう いのの後を追いかけている女の子じゃない」
いの:「!」
サクラ:これを額にするときは女の忍として… アナタに負けられない時……」
いの:「いい案ね… 私も…」
試合会場の2人。
いのもサクラも額に額当てをしています。
正々堂々… 勝負!!
印を結ぶサクラ。ただの分身の術です。
いの:「アカデミーの卒業試験じゃないのよ−− そんな教科書忍法で私を倒せると思ってんの−!」
いのは、じっくり見れば、どれが本物かすぐに見分けられる自信があります。
サクラは木登り修業を活かして、チャクラを足に集中させ、一気に地面を弾きます。
素早く移動し、いのを殴ります。
サクラ:「今までの 泣き虫サクラだと思っていると 痛い目見るわよ! 本気で来てよ いの!」
いの:「そう言ってもらえると嬉しーわ… お望み通り…本気で行くわよ………!」
サクラといのの因縁対決。
幼い頃からの出来事が、現在の試合と交互に出てくるので、結構忙しい構成になっています。
54話から描写されている2人の関係を整理すると、まず幼い頃のサクラは、おでこの広さをからかわれる、いじめられっ子でした。おでこを隠すために、前髪を眼が隠れるほど伸ばしていて、どちらかと言えば暗い感じの子です。
いじめられても言い返すことができず、友達もいない感じでしたね。
いのがサクラを、いじめっ子から助けたのがきっかけで、2人の交流が始まります。
いのがサクラにリボンを渡して、前髪を上げてヘアバンドのように結び、おでこを見せて堂々とするようにアドバイスします。
いのは利発でおしゃれ。忍術も秀でていて、サクラから見ると、ずっと自分の先を歩いている、あこがれの女の子だったのです。
サクラは、いのに追いつこうと頑張ってきました。
この点は、サスケに追いつこうと頑張るナルトと似ています。
そう、サクラといのの関係は、ナルトとサスケの関係と同じです。
ライバル関係は、何も男の子の専売特許ではありません。
サスケを巡って恋のライバルとなりますが、彼女たちはお互いに、憎しみ合っているわけではありません。
むしろ切磋琢磨するライバルとして、一層良い意味での闘争心が芽生えています。
最終的な目標を達成するために、長期目標、中期目標、短期目標を設定する手法はよく用いられます。
ナルトが「火影になる」という大目標を持ちながら、サスケという身近な目標を持つことで、日々の修業に身が入るように、サクラもいのという目標のおかげで、いじめられっ子で暗かった自分を克服できています。
漠然とした方向性や夢があっても、その達成のための努力を、なかなか人は日々の具体的な行動に落とし込めないものです。
毎日の修業なり勉強なりを支えるために、身近な目標を持つことは有効な手段です。
いのはサクラに取って、恩人ともいえる存在です。
そのいのを、この試合でサクラは本気で越えようと思っているのです。
中忍選抜試験は、12歳の彼女たちが一人前の忍になって、自立していくための闘いともいえるでしょう。
NARUTOを読んでいると、今の日本の教育制度が、子供達が精神的にも技術的にも自立できるようなカリキュラムになっているのか、とても疑問に思います。
たぶんなっていないでしょう。
人は環境によって作られます。
私は日頃から、大人達が子供を舐めすぎていると感じています。
イタチのように、幼い頃から大人よりも世の中の矛盾や本質を、敏感に感じ取っている子も現実にいます。しかもそういう子は、幼い自分が言っても大人は真面目に相手をしてくれないこともわかっていて、黙っていたりするものです。まだ語彙力が乏しいから上手く伝えられないせいもありますが、感じていることは事実です。
だから私は、何歳の子供であっても「一人の人間」として接する心構えが、とても大切だと思っています。
そして「何歳だから」「小学○年生だから」で、十把一絡げで扱う今の教育制度には、非常に疑問があります。
発達の速度は一人一人違います。10人いれば10人とも違うスピードで、子供達は成長しているということを、もっと大人は知るべきです。
「二十歳過ぎればただの人」というのは、それくらいの歳になると、発達のスピードがバラバラだった子供達が、ほぼ収斂されてくるからです。つまり差がほとんど無くなってくるというわけです。
だから小学生や中学生のころは、知能の発達が遅くて勉強ができなかった子も、発達が早くて勉強ができた子も、二十歳過ぎれば差が無くなってきます。
ところが発達が遅いだけなのに、自分は頭が悪いと思い込んで劣等感にさいなまれて、勉強をしなくなるケースがあり、非常にもったいないと思います。
逆に幼い頃に優秀だった子は、単に発達が早かっただけなのに秀才だと思い込んで、コツコツと勉強を積み重ねて止めない子に、大人になってから追い越されるケースはざらにあります。
どちらのケースも、周りの大人、特に両親がその点をよく理解していれば、もっと長い目で子供を見て、その子の発達度合いに合わせたサポートができると思うのです。
(71話は、コミック巻ノ8に収録されています)
NARUTO―ナルト― モノクロ版 8 (ジャンプコミックスDIGITAL)
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