NARUTO・気になるセリフ1
現在少年ジャンプでは、輪廻天生の術で復活したマダラが大暴れで、ついにナルトから九喇嘛を引き抜くところです。
この状況で、私が気になっているは、イタチの台詞。
「どんなに強くなろうとも 全てを一人で背負おうとするな…
そうすれば 必ず失敗する」
(552話・コミック巻ノ58)
私は、作者が伝えたいメッセージが、イタチの台詞に凝縮されているな、と思うことが多いです。
イタチというキャラクターは、物語の中核を担う思想、価値観を代弁する、メッセンジャーの役割なのかもしれません。
忍連合軍はマダラの目的が世界征服だと思い込んでいるようですが、これまでの物語から、読者にはそれとは違うマダラの本心がちらりと見え隠れしています。
世界征服なんて、彼は全く思っていない。
しかし、今のところマダラの真意は謎のままです。
マダラはどうして一人で何でもやろうとするんでしょう。
私は「三つ子の魂百まで」の通り、子供時代をみると、その人の本質がわかると思うんです。
(621話〜626話・コミック巻ノ65)
マダラは、非常に繊細な感性の持ち主で、口は悪く強がり。でも愛情深くて面倒見が良い子。柱間は、落ち込み癖があるけど立ち直りも早く、細かいことにこだわらないおおらかな性格。既成の価値観に捕らわれず、物事の本質をみる子。人に対しても同じ。
二人は、自分たち子供が次々と戦いで死んでいく忍び世界に、疑問を持ち、変えたいと思っています。それもただの空想ではなく、真剣に何か方法は無いかと考えている。
この共通点が、出会った二人を強く結びつけていくわけです。
柱間は自分の疑問と怒りを、弟達の前で父親にぶつけています。(当然父親からは殴られるんですが)
それによって、弟達も兄・柱間が何を考えているか知り、兄に理解を示します。
それに対してマダラはどうでしょうか。マダラの家族内での描写はありませんが、マダラと父親、マダラと弟との会話をみる限り、おそらく彼は自分の本当の気持ちを、家族の誰にも話していないと思います。
オープンマインドの柱間と、繊細で内に秘めてしまうマダラの性格の違いを表していて、おもしろいところだなあと思います。
「少年版ロミオとジュリエット」のように、二人が仲良くしていることが双方の親にバレて、関係が断絶。その後すったもんだの末、一族と一族をつなぐ共同体を創設。
なんとマダラが、「木の葉隠れの里」の名付け親だったんですね−。
額あての木の葉マークは、マダラのデザインじゃないでしょうか。柱間にそんなセンスはなさそうですし。
現時点で、本編では里創設後のマダラの里抜けについても、本当の理由は明らかにされていません。
里抜けの時、必死でマダラを引き留める柱間に対して、マダラは柱間の問いに真正面から答えず、はぐらかしたまま出て行ってしまいます。
ここで、イタチがサスケに言う台詞を思い出しちゃうんですよね。
「オレが初めからお前とちゃんと向き合い 同じ目線に立って真実を語り合っていれば…」
(590話・コミック巻ノ62)
あの時のマダラは上から目線でした。「どうせ柱間にははわからない」と思っていたのかもしれません。
その一方で、柱間を理解しているからこそ、柱間に言えない何かがあったという見方もできますが。
イタチはサスケを子供扱いして一人でやった結果、守るはずの最愛の弟・サスケを犯罪者にしてしまいます。自分が望んでいた結果を得られませんでした。
同じように、マダラが柱間に真実を語っていたら、状況は変わっていたかもしれないし、マダラが一人で何もかもやろうとするなら、イタチのように失敗するだろうと思うわけです。
子供時代のマダラにとって柱間は、家族にも言えず一人で抱え込んでいた思いを共有できる、唯一の存在だったでしょう。そして繊細で内向的なマダラには、天然の入ったおおらかな柱間は、自分にないものを補ってくれる大切な存在だったと思います。
ナルトとサスケ、カカシとオビト、柱間とマダラ、それぞれ二人にしかわからない絆の歴史がある3組の物語が、今絡み合って進行中です。
「憎しみをどう克服するのか」は、NARUTOの大きなテーマの1つですが、憎しみ以外にも虚無感や絶望感(オビトの場合は明らかにこれですね マダラもそうかな、この人はまだ謎が多いけど)をどう乗り超えるのか、他者がどう救済できるのかも見所ですね。